「お前は、ある人が信じようとしている、次のことを信じるか? 森の女シルバティカスと呼ばれる野生の女がいて、人間と同じ身体をもち、彼女たちは人間の男たちの恋人として現れて、楽しんだ後、別れたいと思えば離れて消えていく。こういう女と、もし恋人として行動した場合は、パンと水だけで
10日間を過ごさなければならない」
これはカトリックによる「贖罪規定書」である。中世の農民たちはマジで森の女シルバティカスの存在を信じていたが、それが正しい信仰の邪魔だと考えた教会は、それをやめさせようとしていた。そして、西洋史家によれば、この「贖罪規定書」こそが、呪術やアニミズムの闇を切り裂いて、近代合理主義への道を拓く決定的な第一歩になったのだという。
古代インドにおいて「原始の迷妄を打ち破って、古代への第一歩をリードした言葉をあげよ」といわれたら、ためらうことなく次の言葉を指し示したい。
生まれによって賎しい人となるのではない。生まれによってバラモ
ンとなるのではない。行為によって賎しい人ともなり、行為によって
バラモンともなる。 (『スッタニパータ』)
そのときの状況はこうである。あるときブッダは、托鉢のためにサー
ヴァッティーの市に入ったところ、火の神アグニに仕えるバラモンがブッダに向かって「賎しい奴よ」とののしった。それにたいして、「賎しい人とはなにかを知っているか?」と切り返した言葉につづく偈である。
上州新田郷三日月村では、与作も吾平も平等で等質な存在である。つまりは、等しく無力で貧しい。しかし、そんな小世界に自足しているかぎり、どうにか生きてはいける。カーストが特権的職業を「保障」してくれ、呪術的超越者たちが「守護」してくれるからだ。ところが、ひとたびそこから脱出せんか(放逐されても同じことだが)、たちまち飢えにさらされ、「人は人に狼」の関係に置かれることになる。だから、そんな境涯に甘んじている者から見ると、無宿の旅人などは「賎しい人」ということになる。
ところがブッダは、その「賎しい」という言葉を投げ返していう。「それは、狭い檻の中で生涯土のうえを這いずりまわって死ぬことではないのか?」。当時の北インドが怒涛のような高度成長のまっただなかにあって、人びとが燃えるような成長志向をもちはじめていたことがここで効いてくる。
しかし、ひとたびワラジを履いて「上州三日月村の紋次郎でござんす」と啖呵をきったそのときから、己を恃みとして生きていかなければならない。それはやはり寂しく辛いことだった。そんな孤独な紋次郎たちに誇りと生きがいを与えること――それもまたブッダに課せられた使命だったのである。