ブッダはなにゆえに出家したのか? この問いに答えるには、当時ブッダの周辺で何が起こっていたのかを見る必要がある。「協同して集合し、行動し、為すべきことを為」さず、かつ「未だ定められていないことを定め」て、「すでに定められたことを破」り、「往古に定められた法にしたがって行動」せず、「古老を敬わ」ず、「尊」ばず、「崇め」ず、「もてな」さず、「彼らの言を聴」かず、さらに「良家の婦女・童女をば暴力で連れ出し拘え、留めることをな」す。いまやカピラヴァストゥは、そんな無政府状態に陥っていたのだった。とりわけ民衆の憤激をかったのは、有力貴族による土地の略奪だった。
田畑の境界の区別があるから、諍訟がおこるのに、それを解決してくれ
る人がいない。ゆえにわれわれはわれわれに共通な主をたてて、人民
を護り、善を賞し、悪を罰してもらおう。われわれは、各自の収益の中か
ら割いて、それをわれわれの共通の主人に「供給」することにしよう。
(『ディーガニカーヤ』)
王権成立の由来をこのように説きあかしているが、多数のヤクザからてんでに奪われるより、ひとりの強力なヤクザにミカジメ料を払って、他の連中の無法から護ってもらうほうがはるかにマシだった。「共和制」の実態がこのようであるかぎり、君主制への移行はもはや必然であり、民衆は民主的であるよりも専制的であることを望んだのである。近代ヨーロッパにおける政治進歩の概念を、無原則に古代アジアに適用しては間違うことになる。
このように見るとき、「専制国家のマガダやコーサラが民主的なヴァッジ族やシャーキャ族などの共和的種族制度をもつ種族民を貪欲のため侵略した」などという理解がいかに見当はずれかが解るだろう。経済の高度成長は階層間の流動性を高める。そこに現れるのは下克上の世界である。
たとえ奴隷であろうとも、財宝・米穀・金銀に富んでいるならば、王族も
バラモンも、庶民も彼にたいして、先に起き、後に寝、進んで彼の用事を
つとめ、彼の気に入ることを行い、彼には快いことばを語るであろう。
(『マッジマ・ニカーヤ』)
こんなときに、道徳の頽廃を嘆いて新興勢力の悪行を非難するのは、いつの世でも現行秩序を維持しようとする保守反動たちである。そんな旧勢力を打倒して新体制を建設しようとする革新勢力にとっては、その「悪行」こそが民衆救済のための「善行」なのである。そして、ながい逡巡の後ブッダがくだした決断は「善を求めて出家する」ことだった。