ブッダの生涯の物語の背景に、あたかも通奏低音のごとく、遠く低く響いてくるのは、荒野のなかのひとすじの道をゆく車の輪のきしむ音である。ブッダの周辺には、つねに「車」や「輪」のイメージがつきまとっている。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも、
汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。
(――車をひく牛の)足跡に車輪がついて行くように。 (『ダンマパダ』)
走りくる車をおさえるようにむらむらと起こる怒りをおさえる人――かれ
をわれは(御者〉と呼ぶ。他の人はただ手綱を手にしているだけである。
(承前)
世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きと
し生ける者は業(行為)に束縛される。――進み行く車がくさびにむすば
れているように。 (『スッタニパータ』)
かくのごとき車に乗る人は、男であろうとも、女であろうとも実にこの車に
よって、安らぎ(ニルヴァーナ)のもとに至るであろう。
(『サンユッタ・ニカーヤ』)
アーナンダよ。わたしはもう老い朽ち、齢を重ねて老衰し、人生の旅路を
通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。たとえば古ぼけた車
が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らく私の身体も革紐
の助けによってもっているのだ。 (『大パリニッパーナ経』)
経典だけではない。彫像においても、まだブッダの生身を対象とすることが畏れはばかられていた時代には、彼は車輪そのものによって表現されていた。ガンダーラやマトゥーラなどで、具体的な人間像として彫刻されるようになったのは、ようやく1世紀末以降のことである。もちろん、転輪聖王が神秘的な輪の威力で世界を統一するという神話もあるが、それとて後世多くの仏典によって伝播されたものである。いずれにしても、当時の人びとは車輪をもって容易にブッダを特定することができた。だから、ブッダが教えを説くことを「法輪を転じる」という。ここにいう「法」とは、「理論」とか「真理」」というほどの意味である。
カッカないしカクラの語は、戦車とか車輪形の武器にももちいられるが、基本的には「車」や「輪」のことである。つまり、ブッダは生涯のある時期まで、車輪に象徴されるほどに、それに深くかかわっていたのかも知れない。
いま歴史的実像としてのブッダを再構成しようとするとき、このことははたしてどのような意味をもってくるのだろうか?